加賀千代女 かが の ちよじょ
   

木からしや すすと落付 水の月
木枯らしや 鋭(すすと=すぐに)落ち付き 水の月 
89p×38p

元禄16年(1703)2月生〜安永4年9月8日(1775年10月2日)歿
 俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。
 加賀国松任町(石川県白山市)で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれた。一般庶民にもかかわらず、幼い頃から俳諧をたしなんでいたという。
 12歳の頃、奉公した本吉の北潟屋主人の岸弥左衛門(俳号・半睡、後に大睡)から俳諧を学ぶための弟子となる。16歳の頃には女流俳人として頭角をあらわした。
 17歳の頃、北陸を旅していた蕉門十哲の一人の各務支考に出会い、支考に才能を認められ、指導を受けた。その事から名を一気に全国に広めることになった。
 結婚したか否かについては説がわかれている。結婚説では享保5年(1720)、18歳のとき金沢の福岡某(一説に金沢大衆免大組足軽福岡弥八)に嫁ぐが、20歳の時、夫に死別し松任の実家に帰ったとする。一方、千代女は病弱であったため、嫁には行かなかったという説もあります
 30歳の時、京都で中川乙由にあう。画を五十嵐浚明に学んだ。52歳には剃髪して尼さんとなり、素園と号した。
 72歳の時、与謝蕪村の『玉藻集』の序文を書く。その翌年、73歳で没。辞世の句は、「月も見て我はこの世をかしく哉」。1,700余の句を残したといわれている。
 「千代尼」の下に、「素園」の落款印が押されている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%A5%B3
https://jphaiku.jp/haizinn/tiyojo.html
http://haikukan.city.hakusan.ishikawa.jp/chiyojo/about_chiyojo.html
http://www.yomiuri.co.jp/life/travel/meigen/20150822-OYT8T50008.html


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